山田惣右衛門

蒼天(Heavens Goddess)
制作年:2009年 紙にミクストメディア(原画)サイズ:58.0×40.0 cm

裸婦の画家として注目され人気が高まっている山田画伯の描く裸婦は美しさと品格、気高さで他を圧倒している。

作品を初めに目にしたとき大きな衝撃を感じた。その清らかな美しさと優美な裸婦像に心を強く打たれ、この画家の持つ天性の才能を直感した。

山田画伯の描く裸婦はどれも表面的な美のみならず内面まで映し出し、清らかで気品を有しています。これほど美しい裸婦像を描くことのできる画家はそう多くないと思う。

繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態と表情の女性美を追求した江戸の美人浮世絵師喜多川歌麿にも通じる現代の浮世絵画家であると感じる。

裸婦にこだわり描く山田画伯。描く対象が何か、具象か抽象は二次的なことであり、生まれ持った資質に加え、これまでに歩んできた人生体験が絵の深さに結びついている。

山田画伯は「裸婦」をテーマとしているものの単なる写実ではなく「人」そのものを描いているのです。絵の基本となる技術は修練によって巧くなっても、人に好まれること、買いたいと思われるかどうかとは別の問題である。

一時の芸術指向に流されることなく、美における永遠のテーマである裸婦像を描き続ける山田画伯の創作は「心象写実」ともいう世界を展開している。


山田惣右衛門

【メッセージ】
絵を描くこと、とりわけ裸婦を描くことが日常のテーマとなっていて、このところ裸婦ばかり描き続けている。描き始めた頃は裸婦など難しくないと高をくくっていたが、実際に描いて見ると生命感の無いつまらないものとなり我ながらとても落胆し、己の力量を知ることで人物を描くことの難しさを知った。

その時から人を描くことに深い敬意と情熱を抱くようになった。単に形や質感を追い求めたところで真実を写したことにはならない。人を写すということはその人が今まで歩んできた人生や、性格、現在の心情まで捉えていなければならないからだ。

私は裸婦という形を一枚の紙に描いているが、結局、形を描いているのではなく一枚の絵を通じて、本当の美とは何かを追い求めているのである。私は今、美の入口に立ったばかりに過ぎない。

2016年11月01日